2001年末~2002年始における山の気象の記録

都岳連気象委員会

2001年末~2002年始の中部山岳では、悪天侯により数件の遭難が発生した。
このときの気象の記録を13組の登山パーティから収集してまとめましたので、冬山の気象を研究するための資料として活用していただきたい。

2001年12月29日~31日には気圧配置は周期的に変化した。12月29日は高気圧に覆われて晴れ、30日は低気圧が通って各地で雪が降った。その後は冬型の気圧配置となったが長続きせず、31日9時には東シナ海に高気圧が進んで来て、これが夜にかけて日本の南を通過した。このため31日は好 天に恵まれた所が多かった。どのパーティーも12月中は割合順調に登山を進めている。

しかし2002年1月1日に低気圧が通った後は、5日の低気圧通過をはさみ、6日午前中まで5日間にわたって冬型の気圧配置が続いた。500hPa高層天気図を見ると、2日~3日と5日に-39℃以下の強い寒気が日本を通ったことが分かる。北アルプスでは連日、吹雪模様であった。

また、強い寒気が通過した2日~3日には、八ヶ岳や南アルプスでも雪が降り、富士山も雲の中に入っていたらしく天気の記録は霧となっている。この冬型の気圧配置の持続により、北アルプス黒部別山~真砂尾根の秀峰登高会パーティは、胸までの深いラヅセルのため1日歩いても標高差200mしか登れない状態となった。

また、鹿島槍ヶ岳東尾根の小倉山岳会パーティも、一の沢の頭から第一岩峰の下まで1日で登れたのに、同じ区間を下るときには頭上まで達するラッセノレのため3日間を要した。そのうえ、一の沢の頭からの下山ルートも、雪が深くて分からなくなってしまった。

槍ヶ岳付近の稜線では、横浜山岳会パーティと同流山岳会パーティが吹雪のために大喰岳から西尾根への下降口を見つけることができず、長期間の停滞を強いられている。 これら4パーティは、3日から6日にかけてパーティ自身あるいは山岳会から警察に救助を要請した。そして、冬型の気圧配置も緩んで天気も回復してきた6日昼頃~7日朝にヘリで救助された。登山者は全員救助されたが、鹿島槍ヶ岳では救助者1名がヘリに下げたモッコから転落して死亡している。

遭難したパーティも、気象状態に注意を払っていなかったわけではない。黒部別山の秀峰登高会パーティはすでに12月26日には年明けの天侯悪化を予想していたし、鹿島槍ヶ岳の小倉山岳会パーティも、1月2日午前中に天気と残りの日程を考慮したうえで登山続行を決めている。

また、槍ヶ岳の横浜山岳会パーティは、12月31目に翌日午後から天気が崩れると予想していた。これらの事例は、たとえ悪天を予想できたとしても、深いラッセルや吹雪の中での行動の難しさをわずかでも過小評価すれぱ遭難を招くということを、良く示している。

2001年末~2002年始の富士山頂の富士山測候所の気象データ(気象庁提供)

 日付 9時 15時
12月29日 快晴、-20.5℃、
西南西の風11.7m/s
快晴、-20.9℃、
南西の風18.1m/s
12月30日 霧、-20.9℃、
西南西の風21.1m/s
霧、-23.4℃、
西北西の風20.0m/s
12月31日 快晴、-19.4℃、
西北西の風24.5m/s
快晴、-17.8℃、
西北西の風18.5m/s
1月1日 薄曇、-17.2℃、
西北西の風17.5m/s
晴、-18.0℃、
北西の風22.1m/s
1月2日 霧、-23.6℃、
西南西の風12.4m/s
霧、-25.4℃、
北西の風11.4m/s
1月3日 霧、-29.0℃、
北西の風22.4m/s
霧、-25.9℃、
西北西の風15.6m/s
1月4日 快晴、-19.6℃、
西北西の風21.7m/s
快晴、-18.4℃、
西北西の風22.5m/s
1月5日 霧、-20.0℃、
西北西の風9.9m/s
晴、-23.8℃、
北西の風13.2m/s
1月6日 快晴、-23.1℃、
北西の風21.6m/s
快晴、-17.6℃、
北西の風20.1m/s
1月7日 晴、-14.0℃、
西南西の風12.2m/s
霧、-15.3℃、
南西の風15.0m/s

詳しいデータについては下記へお問い合わせ下さい。
都岳連気象委員会委員長 島津好男
E-mail : y-shimazu@mse.biglobe.ne.jp